長崎かぜだより「文化元年長崎梅ヶ崎事情 6」(英国縦断 その1-1)   

一面深緑色の北大西洋の外洋に出た途端、ナジェジダ号の背後から突然の2発の轟音(ごうおん)に朝から叩き起こされた善六や津太夫ら5名は、期せずしてレザノフの船室に走った。迎え入れたレザノフ団長は、意外にも笑みさえ浮かべて両手を広げている。

「諸君、落ち着け」と一喝すると、全員を甲板に導いて後方を指差し、「あの船の帆柱を見たまえ」
いつの間にかナジェジダ号を追尾していた小型帆走軍艦のメインマストにはユニオン・ジャックの旗と共にWELCOME TO UNITED KINGDOM NICHOLAS と大書された幟(のぼり)がはためいている。レザノフは得意気に説明する。

「英国へようこそ、ニコライ君」という意味で、あの轟音2発は、洋上でそれを知らせる“合図”の“空砲”だったのだ。あの旗は、泣く子も黙る大英帝国旗だ。皆、さぞ腰を抜かしたろう。驚かしてすまなかった」
「団長殿、ちょっと訊いてよろしいでしょうか?」善六がすかさず問い返す「“英国へようこそ”とは、もしかするとこれから陸に上がるということでしょうか?」
「善六君、その通りだ。この付近の港から上陸してイングランドを非公式に訪問する。そして善六君、君も同行する。その港から帝都ロンドン、その先の道中をお世話いただくのはすべて英国海軍で、英当局はこの突撃訪問を快く受けてくれたのだ」

空砲を放った彼方の英国軍艦から1隻のスループ船(双帆式伝馬船)が海面に降ろされて、ナジェジダ号の左舷に横付けする。レザノフは善六の腕を取り、改まった口調で「善六君、ロンドン行きは我々の大きなミッションだ。ぜひ会って欲しい人物がいる。そこまで付き合ってくれたまえ。さあ、あの小舟に移ろう」と云うなり、スループ船に乗り込んだ。入れ違いに小舟からは、ナジェジダ号に残された船員や船客のために、スコッチウィスキーはじめ英国特産の酒肴品が届けられた。使節団長のレザノフが一時離れることになるナジャジダ号は、ここからクルーゼンシュテルン艦長が団長代理の指揮を執る。レザノフと「ナジェジダ」が再会するのは、イングランド最南端ファルマス港。約1週間の“外出”である。

洋上でレザノフと善六を迎えた英国軍艦は、大ブリテン島を目指して西南に進み、やがてイングランド東部リンカーン・シャーのグリムズビー港に入る。トロール漁業発祥の海の要衝で、北海、北大西洋航路の重要拠点港でもある。よく整備された岸壁にぴたりと接岸。久方ぶりに陸(おか)に立ったレザノフと善六は、晴れ晴れとして空を見上げた。

「これが英国の匂いだ、善六君。覚えておくといい」
港町グリムズビーは、イングランド北東部を流れるハル川が大西洋に注ぐ河口域の北側にできた港湾都市。デンマークからの移住民を先住民族とする水産交易地で栄え、今ロンドンに勝るとも劣らない交易量である。街の中心にはイングランド国教会のグリムズビー大聖堂の尖塔が聳え、街並みを構成する石造り、レンガ・モルタル造りの建物の敷地内にはどこも小奇麗な庭園があり、土地柄寒さに強いルピナスが紫や黄色の総状円筒形(のぼり藤)の大きな花を咲かせるのは、この土地の自慢の一つである。

レザノフ、善六、お伴の役人2名、それに御者・軍差し回しの添乗員を乗せたロイヤル・ネイビー(英国海軍)の紋章の付いた4頭立て6人乗りの中型馬車は、レザノフと善六にとって久方ぶりの大地の感触である。くっきりと轍(わだち)のできた馬車道に心地よく揺られながら、レザノフ団長の口上を待ちかねていた善六は意を決したようにレザノフに尋ねる――

「日の本「江戸廻船」の舟乗りが今、一体何ゆえに大英帝国の王都に向かう馬車の中にいなければならないのか、ニコライ団長、教えて下さい。これは何かとんでもない冗談なのか、それとも重大な行き違いではないでしょうか?」
「善六君、決して行き違いなどではない。君がオホーツクから陸路ではるばるイルクーツクの日本人学校まで流れ着いた時から、こうなる“星”の下に生まれていたのだ。ロシア帝国は、国策で日本人学校を作り、極東ロシアの海岸に漂着する日本の難破船船乗りを丁重に送り返すことで、交易の糸口を探っていた」
「何やら国家が絡んでいるのでしょうか? いや、もしそうなら、何故“私”なんでしょうか? 私よりも若くて賢い太十郎君は、何より皇帝陛下が直々に公認した“人質”というのお墨付きもあるのに・・・・。私が生まれ付いた星とは、一体どんな星ですか?」
「我がロシア帝国と君たちの国を繋ぐ虹のような星だ。――しかし今はここまでしか話せない。善六君、いつも言葉足らずで済まない。然るべき時が来たら、詳細を明かそう。それまで善六君、国家の非礼を許せ」

馬車はハル川にかかる石橋を渡って、南に延びる街道に入る。軍の添乗員が後ろ向いて告げる――「ロンドン行きの途上、ケンブリッジのトリニティー・カレッジで、ある人物と会見することになっています。本日はそのままカレッジ宿舎にお泊りいただきます。ケンブリッジまで約1時間半、狭いところで心苦しいのですが、どうぞおくつろぎ下さい」と頭を下げて、スコッチウイスキーのミニボトルが各人に1瓶ずつ配られた。

沿道はのどかな農村風景に変わっていた。レザノフは小窓を少し開けて風を入れながら、善六に語りかける――
「道中は長い。いい機会だ、皇帝陛下の話をしよう。善六君は陛下に接見したことがあるか?」
「接見なんてとんでもない、勿論ありません。皇帝陛下がイルクーツクに僥倖されたとき、大聖堂のミサに列席されるお姿を拝見しました。近寄り難いその気品に、しばし見とれてしまいました」
「そうか。その時もフランス仕込みの礼服をお召しだったか」
「よくわかりませんが、矢張りそうでしたか。センスの良さが際立っていました」
「そうだろう。先君パーベル一世公から仕込まれたフランス陸軍の流儀も板に付いていただろう」
「陛下はフランス語もたしなまれるそうで」
「サロンなどでは、フランス語でジョークを連発されるようだ。今やフランス流は、王宮の作法の一つになりつつある。そもそもロマノフ王家の創始者ピョートル大帝陛下の“フランス趣味”から始まったようだが」

ここでレザノフは渡されたミニボトルの口をあけて「君もやりながら聞いてくれたまえ。ピョートル大帝由来の“フランスびいき”の意味合いが、実は最近数年間で一変した。何か判るか。そうだ、革命だ。善六君の船がロシアに漂着した、まさにその頃、フランスの都パリで勃発した革命だ。これまで各国王宮の“フランス趣味”を醸成して来たフランス合理-啓蒙思想の波が、この市民革命に結実したんだ」

熱弁がとまらなくなったレザノフはウィスキーで喉を潤して、そして続ける「ルイ王政を倒した革命勝利最大の産物は何だと思うかね、善六君。それは市民主権や人民議会樹立などではなく、まさに“革命軍とその総司令官ナポレオン誕生”にあったんだな。ナポレオン将軍は総司令官に就くや、直ちにフランス全土に傭兵制を敷いて、革命軍を“国民軍”に格上げし、すべての武器、銃弾の“規格”を統一したんだな(の時ナポレオンはフランス科学アカデミーを動かして現代標準単位の元祖“メートル法”を世に出している)。歴史的にも戦争というものを“戦術”でなく“戦略”で捉える最初の戦争指導者となるかも知れない。我がロシアは革命フランスの同盟国でもないのに、アレクサンドル皇帝陛下はそんなナポレオン将軍に密かにただならぬ尊敬の念を抱いていらっしゃるようだ。将軍もそれをしっかり読んでいる」
「そのとき両者の間には、他者に悟られない盟約のようなものがあったのでは?」
「その通りだ。ペテルブルグでの皇帝即位記念日に披露されたあの“驚天動地の熱気球という”上空偵察兵器“(前述)を皇帝に贈ったのも将軍ナポレオンその人からだった。同盟国でもなく中立関係にもない相手国の元首に直接示したこの型破りの”作法“は、私如き凡人には到底想像も及ばない摩訶不思議なものなんだな、善六君」

この両者は、しかし、後年の「ナポレオン戦争」で互いに敵将として相まみえることになる。その部分の歴史を少し早送りしてみると、全欧州制覇の野望に燃える革命ナポレオン軍は、やがて未踏の[北]を目指す(ロシア戦役)。迎え撃つ皇帝アレクサンドルは決死の“モスクワ焦土作戦”で応戦、そして極北の大寒波“冬将軍”利して、不敗神話のナポレオン軍を大敗走させた(1812年)。

<つづく> ©松原まこと 

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